The Ambu Story 「アンブ社の歴史 ~創設期から現在まで~」
- 掲載:2011年08月
- 文責:クリティカル・ケア部
1930年代にドイツからデンマークに移り住んだHolger Hesse技士は、1937年、デンマークに彼の会社“Testa-Laboratorium”社を設立した。彼はカラースケールを用いて血中のヘモグロビン量を測定するオリジナリティに溢れたヘモグロビンメーターを生産した。
この検査器械は“Sicca Haemometer”として知られている。それからの彼は、人の生命を救う製品の開発に身を捧げようと考えた。
Henning Ruben教授はどのような医療器具の技術が開発されるべきかという多くのアイデアを持っていた。彼は人為的に呼吸をさせ、吸引によって患者の気道を確保する器具の開発を考えていた。しかし彼はそのような器具を開発する技術的ノウハウを持っていなかった。
彼は開発を手伝ってくれる人物を捜していた。こうした中で、彼はついにHesseと出会うこととなる。冷え込んだ1953年2月のある日、RubenとHesseは出会った。
彼らはRubenが考え出した器具の開発を始めたものの、これら2つの機能(呼吸と吸引)を併せ持つ器具は試作の域を出ることはなかった。
しかし、彼らの試みはサクションポンプを生み出すこととなった。ポンプは外部の駆動源を必要とせずに、血液や分泌物を吸い出すことができた。さらにこのサクションポンプは小型軽量で持ち歩くことができた。言い換えれば、どこでも使うことができたのである(ambulant)。この利点を強調するために、HesseとRubenは彼らのサクションポンプを“Ambu”と称した。
1956年には “Ambu Bag”を世界で始めて開発、販売を開始、1950年代末にはCPRトレーニングマネキンの販売を開始することとなり、救急医療の市場においてその地位を確立していくこととなる。 “Testa Laboratorium”社は1986年、社名を“Ambu International”に変更した。“Ambu International”時代のロゴは“Ambu Bag”が図案化されたものであった。 2002年アンブ社は“Blue Sensor”のブランドでその名を知られる心電図電極のトップメーカー“Medicotest”社を買収し、その傘下に収める。これを機に社名を“Ambu”に変更、ロゴも現在のものに変更された。また、本社をコペンハーゲン近郊のBallerupに移転した。
"Ambu Bag"(アンビューバッグ)誕生
1956年5月、Dr.Holger Hesse、Dr.Henning Rubenのふたりの創造性は新たな大成功を生み出す。
そのバッグは患者に人為的に呼吸をさせるためにエアーを自分で引き込んだ。Rubenは圧迫した後エアーを自動的に吸い込んで膨張するゴム製のバッグを考え出した。
最初の試作品は彼らの期待に沿うものではなかった。ラグビーボールのような楕円形の形を維持するためのフレームとして4本の自転車のリムが溶接された。デザインとしては興味を引くものであったものの、実際に使用するには適していなかった。
2つのバッグを重ね合わせ、2枚のゴムを密封することで、陰圧により自動的にエアーを吸い込むというアイデアにたどり着いたとき、2人はようやく満足することができた。彼らはこの風船を“Ambu Bag”と呼んだ。
この製品は救急医療において画期的な出来事と考えられ、“Ambu Bag”はまたたく間に世界中に定着した。“Ambu Bag”は今日では蘇生バッグ(resuscitator bags)の代名詞となっている。 Ambu Bag”は今日、病院や消防など世界中のすべての救急現場で愛用されている。 あらゆる救急医療の現場で使用されていると言っても過言ではない。 これらの大成功によって“Ambu”は後に社名として採用されることとなる。
その後Ambu Bagには様々な改良が加えられ、材質なども変わってきているものの、作動原理や構造に関しては現在に至るまでほぼ同じであることが、HesseとRubenが開発した蘇生バッグの優秀さを物語っている。
トレーニングマネキン
アンブ社は“救助者による早期の蘇生”のコンセプトの先駆者としても活動してきた。
救急現場から病院まで、あらゆる救急現場において、患者は迅速で高度なスキルによる治療を受ける必要がある。この思いから、アンブ社は1957年から1959年にかけて初めてトレーニングマネキンを使用した新しいトレーニングコンセプトを創始した。このトレーニングコンセプトは気道確保、口対口人工呼吸、胸部圧迫による心臓マッサージという新たに確立されたテクニックを取り入れたものであった。
アンブ社のマネキンには当初から“ハイジェニック(衛生)システム”が取り入れられていた。このシステムによって、トレーニング受講者は相互感染のリスクから守られることとなった。
当初トレーニングマネキンは“Ambu Bag”のためだけに存在した。1950年代終盤時点でまだ十分に認知されていなかった蘇生バッグの機能のデモンストレーションに供するために、蘇生する必要のあるマネキンとして開発されたのである。マネキンは“Phantom”(幽霊)と名付けられた。
1950年代が終わるまでに初期のモデルのひとつである“Type B”が発売された。このマネキンは蘇生バッグのみならず口対口あるいは口対鼻の人工呼吸もできるものであった。マネキンの頭部の位置が正しくないと、送り込まれたエアーは胃を模した袋に入り胃膨満をシミュレーションした。肺を模した袋の上には硬さの異なる幾枚かのゴム膜が置かれ、換気抵抗を調整することができた。
1960年代中盤には“Phantom AM”モデルが発売され成功を収めた。このモデルでは心臓マッサージの機能が追加されていた。頚動脈とオプションで追加できる腕モデルで拍動の触知ができるようにも工夫されていた。拍動は今日と同様にポンプによって作り出されるようになっていた。
1958年ごろからデンマーク赤十字は“Phantom”を使用しての看護師や救急医に対するファーストエイドトレーニングを開始していた。後にマネキンとも呼ばれるトレーニング器具は次々に商品化されスウェーデン、オランダ、カナダ、アメリカへと紹介されていった。
1980年代に開発、発売され今も販売されているアンブマンでは、心臓マッサージのトレーニング時に背中のツマミによって胸部の硬さを調節できるよう工夫されている。このような機構を組み入れるに至ったのは、アンブ社が日本を始めとするアジア諸国で“Phantom”の販売を開始したことから始まる。アジアの人々はヨーロッパの人たちに比べて体が小さく、異なるマーケットに合わせてマネキンのキャラクターを調整できることが求められたのである。
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